論述試験用の逐語記録を読んでいて、これは相談者の方の思い込みではないだろうか…と感じること、多くあります。
もちろん、実務でも同じです。
その時、「思い込みや決めつけがあるな」「認知のゆがみだな」とストレートに感じますか?
2級の論述試験では、この「思い込みがあるのではないか」と感じたことは、問2の設問で書くことが多いと思います。
実際には、「なぜ、このような思い込みが起きているのだろうか?」とさらに疑問を持つことが、支援につながるのではないでしょうか。
私たちキャリアコンサルタントは、カウンセリング理論を学んでいます。
そこで、認知療法や論理療法も学びますよね。
この療法、適切に使用することはできますか?
他者の思い込みを正そうとする考えは、とても傲慢なように感じます。
もちろん、必要とされる場できちんと学んだ方が、適切に使うことは構いません。
この療法が確立された背景には、それを必要とし効果があったからです。
ですが、少しだけ(学科試験のために)学んだ程度の私たちが、この相談者の思い込みを正そうとするのは、傲慢に思えるのです。
思い込みと言うのは、その方の培ってきた経験や、さまざまな事情や背景があるものです。
積み上げたものを、正そうとする。
難しいことではありませんか?
検定試験でいうなら、確かに思い込みがあるなぁと感じられる相談事例もあります。
ですが、その思い込みはなぜ起きたのだろうか、という視点を忘れてほしくは無いな、と思います。
それをきちんと聴いてあげることに、意味があるように思えるのです。
解答に思い込みがあるように見受けられる、と書くのであれば。
その背景を丁寧に聴き、たとえ思い込みであろうと、それが相談者の考え方なのであれば、まずは受け止めていくこと、寄り添っていくことが、信頼関係のスタートではないかと、私は感じています。
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